バラク・オバーマ米大統領は3月23日、マウリシオ・マクリ亜国大統領主催の晩餐会に出席した。主賓席の前で「ラ・クンパルシータ」を踊った著名なダンサー、モラ・ゴドイは、オバーマを誘い、名曲「頭一つの差で」(ポル・ウナ・カベサ)に合わせて踊った。ミシェル夫人も促されて、男のダンサーと踊った。オバーマは当初「踊れない」と遠慮したが、なかなか上手な足さばきを見せた。
一夜明けた24日午前、両首脳はラ・プラタ河畔コスタネーラ・ノルテにある「記憶の公園」を訪れ、「国家テロリズム犠牲者記念碑」に参った。この日は、1976年3月24日に起きた軍事クーデターの40周年記念日。
陸軍司令官ホルヘ=ラファエル・ビデーラ、海軍司令官エドゥアルド=エミリオ・マッセラ、空軍司令官オルランド=ラウール・アゴスティが構成した軍事評議会に始まり、1983年まで7年続いた軍政下で3万2000人が殺された。記念碑には、その名前が刻まれている。
オバーマ大統領は記者団の前で、「あなた方、犠牲者の遺族の、真実と正義を求める尽力によって、過去が<ヌンカ・マス=二度と再び>繰り返されてはならないこととして記憶されることになった」と、遺族らを讃えた。
さらに、ジミー・カーター大統領は人権が米外交の基本的要素であることを認識していたと指摘しながら、米外交が人権擁護で後れを取ったことがあったとし、「アルヘンティーナの場合がそうだ」と述べた。
その上で、「我々は歴史と向き合わねばならない。歴史を明確にする倫理的責任を米国は負っている」と認めた。ニクソン、フォード両政権下で国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャーが亜国軍部を支援していた事実は既に明らかにされている。
マクリ大統領は、オバーマに「亜国にとって、このような重要な日に滞在してくれてありがとう」と表明。オバーマが、亜国軍政の人道犯罪などを記録した米国の軍事・諜報関係の機密文書の解禁を決めたことに感謝した。
マクリはまた、「我が国の歴史上、最も暗い時期をつくった軍事クーデターから40年が過ぎた」と言い、「この日は<国の真実と正義の記念日>だ」と指摘した。
続けて3月1日の亜国国会開会日の演説で自分が、「政治的・制度的暴力を二度と繰り返してはならないと声をそろえて叫ぼうと国民に呼び掛けた」ことを強調した。
この日、亜国メディアは40年前のクーデター発生と、その後の人道犯罪のすさまじさなどを一斉に伝えた。「五月広場の祖母たちの会」や「五月広場の母たちの会」はこの日、大統領政庁前の五月広場で記念行事を催した。
オバーマは、1990年代に大規模なテロ事件に遭ったイスラエル協会とイスラエル大使館も訪れると伝えられる。その後、一行はアンデス山脈の保養地バリローチェに飛び、24日夜、エセイサ国際空港から帰国の途に就く予定。