2018年4月5日木曜日

米民事法廷が元ボリビア大統領の「法律外処刑」責任を認める

  ボリビアでは2003年9~10月、当時のゴンサロ・サンチェス=デ・ロサーダ大統領の親米保守政権が下していた天然ガスをチリ北部の港経由で米国に安価で輸出する決定に対し、左翼野党、労働者、先住民族などが反発、激しい抗議行動が続いた。
 その行動は政治首都ラパスおよび、その上方の大高原(標高4000m)に広がるエル・アルト市を中心に展開された。サンチェス政権は軍隊を出動させ、実力で鎮圧しようと試みた。
 それが頂点に達した03年10月17日、軍の発砲などで死傷者多数が出た。サンチェス大統領は同日、政権を放棄し米国に亡命、マイアミに居を定めた。ボリビア検察によると、サンチェスは国庫から2200万ドルを持ち逃げした。
 腹心のカルロス・サンチェス=ベルサイーン国防相も亡命、マイアミに住んでいる。
 一連の反政府行動と鎮圧で、68人が死亡(公式発表で55人)、約400人が負傷した。重傷者の一部は脚を切断するなどで障害者になった。
 米国へのガス輸出取り決めは破棄された。後のモラレス現政権が石油・天然ガスを国有化した。
 死者のうちの8人の遺族は賠償を求めて米フロリダ州でサンチェス元大統領(87)とサンチェス元国防相(58)を相手取り民事法廷に提訴した。
=以上は前置き=
 フロリダ州フォート・ローダーデイルの民事法廷は3月5日審理を開始。陪審員団は4月2日、元大統領ら両人が「法律外処刑」で有罪と判断、法廷は8人の遺族に計1000万ドルの賠償金支払いを命じた。両人は控訴する見込み。
 外国の大統領経験者が米国で、民事とはいえ人道裁判で有罪判決を受けたのは初めてとされる。
 モラレス現ボリビア政権のアルフレド・ラダ大統領府相は4月3日、判決を評価し、「この問題は両サンチェスのボリビアへの身柄引き渡しまでは終わらない」と表明した。
 
 話は遡るが、サンチェス大統領が逃亡した2003年10月、副大統領だったカルロス・メサが暫定大統領となり、05年末の大統領選挙で左翼・社会主義運動(MAS)候補で、コカ葉栽培農民組合連合を率いるアイマラ民族のエボ・モラレスが当選した。
 06年初め就任したモラレス(58)は新憲法制定を挟んで3選を重ね、今日まで12年余り政権を維持してきた。
 現行憲法は大統領連続再選を2選までしか認めていない。このためモラレスは再選回数を無制限にする憲法改正を求めて16年2月国民投票を実施したが、僅差で敗北した。
 だがモラレスは19年の次期大統領選挙への出馬を諦めず、最高裁を動かして17年12月、「無制限再選可能」との判断を強引に勝ち取った。
 しかしながら長期政権は飽きられ、支持率50~60%を常時維持していたモラレスは現在、支持率が25%程度に低迷している。
 このため、1879年にチリに仕掛けられた太平洋戦争で失った太平洋岸領土(現チリ・アントファガスタ州)の奪回(「海への出口」闘争)を選挙運動の中心に据え、ナショナリズムを煽り支持率を上げようとしている。