2011年12月12日月曜日

ノリエガ将軍、孤愁の帰国

▽▼▽▼▽パナマのかつての最高権力者マヌエル・ノリエガ元将軍(77)が12月11日、囚人として帰国した。1989年12月の米軍による大規模侵攻で政権をつぶされ、亡命したはずのバティカン大使館から90年1月追い出されて米軍につかまり、そのまま身柄をマイアミに護送されてからほぼ22年経つ。

    元将軍はこの日パリの刑務所を出てマドリードに護送され、そこからイベリア航空機でパナマ市郊外のトクメン空港に着いた。パナマ政府は、1983年に比国の政治家ベニグノ・アキーノ氏がマニラ空港で航空機から降りたとたんに銃撃され暗殺された事件を念頭に置いて、警備態勢を敷いたという。地元紙は、ノリエガが車椅子で空港の建物内を移動する姿をとらえた写真を掲載した。

   ノリエガは、空港からはヘリコプターでパナマ運河地帯の熱帯雨林に隣接する「エル・レナセール」刑務所に収監された。「レナセール」は「生まれ変わる」、「再生」を意味する。

    独房は面積12平方mで、窓が2つある。この国では、70歳を超える服役囚は自宅軟禁の恩恵にあずかることができるという決まりがある。法廷が今後、その判断をするという。

    高齢のノリエガは、歩行が困難なうえ、さまざまな病気を抱えているという。麻薬取引罪によりマイアミで禁錮20年の刑に服した後、資金洗浄罪で20か月仏刑務所にいたが、パリの法廷で、「遺恨も怨念もなく帰国したい」と、心情を再三吐露していた。

    だがパナマでは、政敵ウーゴ・スパダフォラ氏暗殺事件(1985年)など3件の重罪で、禁錮計60年という重刑を課せられる可能性がある。常識では20年だが、それでも全うすれば97歳になってしまう。

    元将軍は、パナマ運河返還の英雄、故オマール・トリホス将軍の下で力を蓄えつつ、同将軍がクーデターで実権を握った1968年から86年までCIAの重要な諜報員だった。トリホス将軍が81年にヘリコプターで飛行中、爆殺された事件の真相を知っているはずだ。

    米政府の握るパナマ、トリホス、中米、麻薬、ゲリラ、金融、運河などをめぐる情報を共有する立場にあった。ノリエガは言わば、米政府にとっては<知りすぎた男>だった。

    元将軍と、傀儡政権を樹立するため<民主化>したがっていたブッシュ父親政権の関係は険悪になり、ブッシュは、ベルリンの壁崩壊間もない89年12月軍事侵略し、ノリエガ体制を一挙に叩き潰した。

    グアテマラ人ノーベル平和賞受賞者リゴベルタ・メンチューらの調査では、米軍侵攻で低所得者居住地域チョリージョ地区の住民を中心に最高8000人のパナマ市民が空爆などで殺害されたとされる。

    別途裁かれるべきは、弱小国の主権を何とも思わない米軍による侵略、無差別殺傷、最高指導者の身柄奪取であろう。米空軍はステルス戦闘機をパナマで初めて<実戦実験>し、1991年の湾岸戦争でイラク攻撃に同機を使った。

    米国を罰する者がいないため、米国は好き勝手な振る舞いをする。ローマ法王庁も、米政府の圧力に屈して、逃げ込んだノリエガを引き渡してしまった。ノリエガは米軍によって<神>からも引き裂かれたのだった。

(2011年12月12日 伊高浩昭執筆)

 【1989年末の米軍パナマ侵攻やブッシュ父親大統領がなぜ暴挙に出たかなどは、月刊誌「LATINA」2010年2月号掲載の拙稿「忘却を強制され、依然わからぬ死者数」を参照されたい。】