2015年9月13日日曜日

チリ軍事クーデター42周年に大統領が民主強化訴える

 チレ軍事クーデター42周年記念日の9月11日、ミチェエル・バチェレー大統領はモネダ宮(大統領政庁)での政府式典で、アジェンデ社会主義政権期に民主勢力が分裂し、軍部、極右、ニクソン米政権などに付け込まれクーデターに至った史実を踏まえ、「民主勢力分裂は誰の得にもならず、祖国喪失につながる」と述べ、民主強化を訴えた。

 サルバドール・アジェンデ大統領は政変当日、政庁に留まり、自動小銃でしばし戦った後、自害した。

 この日、首都サンティゴを中心にクーデターを糾弾する左翼青年らの抗議行動があり、52人が逮捕され、警官ら3人が負傷した。

 またピノチェー軍政期の政治囚拘置・拷問所ビージャ・グリマルディの所長だった陸軍退役大佐マルセロ・モレーン=ブリート受刑囚(80)が11日、軍事病院で死去した。46件の人道犯罪で計396年の禁錮刑に処せられていた。

 モレーンは軍籍を剥奪されていなかったため軍事病院に入院できたのだが、拷問の犠牲者らは、退役大佐として死なれたのが残念だ、と語っている。バチェレー大統領と母親も、この拘置所で拷問された。バチェレーの父親は空将だったが、クーデターに同調せず逮捕され、拷問死している。

 モレーンは、8月に受刑中死去した元国家情報局(DINA)長官マヌエル・コントレラスの側近だった。

 12日には、サンティアゴ市内で1986年9月8日、国家情報機関員に射殺されたジャーナリスト、ホセ・カラスコ=タピア(当時43)の追悼式が、殺害現場で催された。マルセロ・ディアス官房長官も出席した。

 カラスコは、アナリシス誌国際面の編集者で、左翼組織「革命的左翼運動」(MIR)の要員だった。1986年9月7日、独裁者アウグスト・ピノチェーが暗殺未遂事件に遭うと、秘密警察は報復の左翼狩りを展開、カラスコは自宅から拉致され、殺害された。同誌はその後、廃刊されて今はない。

 この暗殺未遂事件の実行者は後に、チレ共産党系の地下組織「マヌエル・ロドリゲス愛国戦線」(FPMR)と判明した。

 13日にも首都で、クーデター犠牲者の遺族らによる追悼行進が予定されている。