2015年9月11日金曜日

キューバで「女ゲリラ、タニア展」開かる

 チェ・ゲバラのボリビア日記に「タニア、ラ・ゲリジェーラ」(女ゲリラ、タニア)と記されたタマラ・ブンケ=ビデル(1937~67)の遺品が、クーバ・サンタクラーラ市のチェ・ゲバラ彫刻複合体の博物館で8月29日から展示されている。

 タマラはナチによる迫害を逃れてアルヘンティーナに移住した両親の下、ブエノスアイレスで生まれた。一家は1952年東独に行った。西独両語ができるタマラは、チェ・ゲバラがベルリンを訪問した折、通訳を務めた。

 その後、ハバナに渡り、諜報訓練を受け、64年ボリビアの政治首都ラパスに行き、ゲバラのゲリラ部隊のために連絡支援網を構築した。当時の軍政大統領レネー・バリエントスら高官たちとも知己になるほど政府中枢に食い込んだ。

 だが67年3月、ゲバラらのゲリラ部隊拠点にレジ・ドゥブレ(レジス・ドブレ)らを案内した際、身元が暴かれ、ラパスに戻れなくなった。仕方なく戦闘服をまといゲリラの後衛隊と行動を共にしたが、67年8月31日、渡河中に政府軍の待ち伏せに遭い、撃たれて急流に倒れ込み死亡した。29歳9カ月の命だった。

 日系ボリビア人ゲリラ、フレディ・マエムラも同じ待ち伏せで捕虜になり、拷問され殺された。

 遺骨は98年発見され、ゲバラ複合体の霊廟に安置された。マエムラの遺骨もそこにある。

  遺品はベルリン在住のタマラの母ナディア・ビデルが地元の独玖友好協会に寄贈、これを1年がかりで選別。ベルリン工科・経済大学の図書館学教授オリヴァー・ルムブらが作業に携わった。

 手帳、教科書、葉書、新聞記事、レコード、映画などが、「タマラ・ブンケ 神話と真実の狭間で」展に展示されている。1960年にクーバ国立バレエ団が東独公演した際、団長でプリマのアリシア・アロンソがアコーディオンをタマラ母娘に弾いて聴かせる情景を写した珍しい写真も展示されている。

 タニア展は、玖女性連盟(FMC)創設54周年を記念する行事の一環。FMC初代会長の故ビルマ・エスピンは、ラウール・カストロ国家評議会議長の妻だった。

 別件だが、クーバは10日、米自由連合国ミクロネシアと国交を樹立した。7月の玖米国交再開を受けて実現した。国交樹立協定は、パプアニューギニア開催の第46回太平洋島嶼会議の場で調印された。