チリのノーベル文学賞詩人パブロ・ネルーダ(1904~73)が69歳で死去してから9月23日で40年が過ぎた。内外でさまざまな記念行事が催されている。
だが内外世論の最大の関心の的は、ネルーダが死の12日前の9月11日クーデターで登場したピノチェー軍政から毒殺されたか否かである。
ネルーダは73年9月19日、軍政当局によって誘導され、太平洋岸イズラ・ネグラの邸宅から首都サンティアゴのサンタマリーア診療所に移された。その間、邸宅は軍政によって荒らされ、略奪された。
ネルーダは23日メキシコに亡命することになっていたが、本人の意向で出発を24日に延期していた。
23日病室から軍政の意向でネルーダ夫人マティルデと側近マヌエル・アラヤは追い出され、ネルーダは独りになっていたところ何かを注射され、容体が悪化し、その日死亡した。
詩人がメキシコに行けば、ピノチェー軍政にとって最も手ごわい反対者となるのは明らかだった。ここに毒殺の意味があったとされている。
遺骨は4月に邸宅内の墓から発掘され、米国とスペインの研究所で鑑定作業が続けられている。遺族ら関係者は、40周年の日に死因が発表されるのを望んでいたが、発表はなされていない。
鑑定筋情報を踏まえた報道によると、死亡当時「前立腺末期癌」と発表された死因は否定され、「心肺停止」が死因である可能性が濃厚になっている。問題は、それを起こさせた要因の解明だ。