2013年9月27日金曜日

ドミニカ共和国クーデター50周年


 ラ・ドミニカーナ(RD=ドミニカ共和国)は25日、1963年9月25日発生した軍事クーデターの50周年記念日を迎えた。さまざまな行事が催されている。

 RDではトゥリヒーヨ独裁(1930~61)を経て62年12月20日この国初の民主選挙が実施され、ドミニカ革命党のフアン・ボッシュ教授が当選した。ボッシュ政権は民主憲法を制定・施行し、社会の民主化に着手した。

 ところが、これに反発する独裁期からの支配勢力やカトリック教会が、軍部右翼に反乱を働きかけ、米政府も支持した。これを受けエリーアス・ウェッシン=ウェッシン大佐が蜂起し、ボッシュ政権を倒した。

 当時、空軍は英国から軍用機を500万ドルで購入する計画を立てていたが、空軍司令官がうち120万ドルを着服することが明るみに出た。ボッシュ大統領は計画を認めなかった。これが直接的な引き金になって、クーデターへ傾斜して行った。

 その後、キューバ革命の影響を受けた軍部左翼のフランシスコ・カアマニョ大佐は65年4月蜂起し、保守政権を倒した。これに対し軍部右翼はジョンソン米政権に介入を要請する。ジョンソンは直ちに海兵隊4万2000人を上陸させ、カアマニョ体制を打倒した。

 前のケネディ米政権はCIAを使って61年4月キューバ革命打倒、5月トゥルヒーヨ暗殺を画策し、キューバで失敗したが、暗殺には成功した。だが民主体制には反対した。

 カアマニョ元大佐はその後、キューバから発進し、ゲリラ戦を起こすためRDに上陸したが、短期間で掃討されてしまった。

 レオネル・フェルナンデス前大統領は記念式典で、「半世紀前のクーデターはRD史の汚点であり恥辱だ。長期独裁から民主時代に移行しつつあったのを押しつぶした」と指摘した。