2011年11月1日火曜日

ボゴタ市長選で左翼当選

   コロンビアで10月30日、32州知事、1102市長、および州会・市会議員を選ぶ統一地方選挙が実施された。この国では、大統領に次ぐ重要な地位は首都ボゴタの市長と見なされており、同市長選に最大の関心が集まったが、かつてのゲリラ組織「4月19日運動(M19)」のゲリラだったグスタボ・ペトロ(51)が得票率32%強(72万票)で当選した。

  M19は1990年、政府との和平交渉の結果、武装解除し政党となって、91年の制憲議会選挙に参加した。ペトロは、M19の流れを組む野党「代替民主軸(PDA)」の上院議員を経て昨年の大統領選挙に出馬したが、フアン・サントス現大統領に遠く及ばず敗北した。

  ボゴタ(現)市長はPDAのサムエル・モレーノだったが、公金横領罪で逮捕され、PDAは後継候補選びで大混乱していた。ペトロはPDAと袂を分かち、「プログレシスタス(進歩主義者)」という政治運動を興し、今選挙に臨んだ。

  これに対し、将来の政権復帰を狙うアルバロ・ウリーベ前大統領は、緑の党(PV)から出馬した元ボゴタ市長エンリケ・ペニャローサ候補を、自党「国民連合社会党(PSUN)=通称U(ウリーベ)党)」を大動員して支援した。だが得票率25%弱(56万票)で2位に甘んじ、敗北した。

  ウリーベは、米国のブッシュ前政権の<対テロ戦争>と連動して、米軍から訓練、兵器、諜報の支援を受けつつ国内で、極右準軍部隊(パラミリタレス)と組んで<国家テロ>戦術を展開した。ゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」の弱体化という政府目的達成に邁進したが、おびただしい人権蹂躙事件を起こした。

  このウリーベは昨年の大統領選挙で3選を狙い、そのために改憲しようと試みた。だが(機密情報によると)、オバマ現米政権から内々の警告を受けて断念した。そこで今選挙でボゴタ市長および、出身地メデジン州の知事と州都メデジンの市長に子飼いを据え、それを足場に影響力の温存を図ろうとした。しかし、これら3つの選挙でことごとく敗れ、思惑は見事につぶされた。

  ペトロの当選は、ウリーベ式の富裕層のための右翼強権主義の政治手法がコロンビアでも時代遅れになりつつあることを明確に示した。

  ペトロは2012年元日に就任するが、市会45議員中、与党議員は8人程度であり、4年の任期を乗り切るのは楽ではない。他党との妥協による連携が不可欠になる。

(2011年11月1日 伊高浩昭)