▼▼▼NHKTV番組「シリーズ原発危機 安全神話 ~当事者が語る事故の真相~」を11月27日夜、観た。宮川徹志ディレクターらが制作した力作だ。
3・11以後、東電福島原発事故の根本的原因が人災だった事実が盛んに指摘されてきた。それを政府、東電、科学者ら、原子力政策と東電原発の責任者・関係者150人に取材して検証したところに、この番組の価値がある。
結論は、<安全神話>が責任者らの思考を停止させ、米スリーマイル島、ソ連チェルノブイリと大原発事故が2度も起きながら、対策を講じなかった、という実に無責任極まりない人々の、利益優先の愚かな判断が事故を招いたということだ。
東電幹部らの「想定外」という無責任の代名詞のような言い分も、実は、想定を怠ったからだったことが証明された。番組は、倫理観を失ったかにみえる企業人に政府が従属していた事実を暴き出す。
政府も東電も、原発周辺の住民をだまし続けて、事故に至った。「事故の際は住民を速やかに退避させるべし」という、手引書に盛り込まれるべき項目は、「盛り込めば事故が起こりうることを認めることになるから」と排除されたという。
このように退廃した組織人たちが、日本に住む人々の安全を蹂躙していた。対策は最初から無視され、為されても後手後手に回った。だから原発が大津波を受けた時、為すすべもなかった。糾弾されていない官民にまたがる組織的無責任は、重罪と言うしかなく、厳罰に値しよう。
その津波の危険性についても、「地震随伴事象」として、脇に追いやられていたという。スペイン語では海底地震を「マレモート」と呼ぶ。それは、津波とともに陸地をしばしば襲う。それが常識であり、「随伴」ではない。この点を指摘した人物が一人いたが、その声はかき消されたという。
驚くべきは、3・11から8カ月以上たった今でも、現在の当事者たちの認識が甘く、危機意識に乏しいことだ。取材に応じた人々からも、謝罪はなく、「罪の意識」は感じられなかった。番組を観た視聴者の間で、怒りがさぞ渦巻いたことだろう。
番組は、NHKを含むメディアにも責任があったことを認めている。この認識を深化させ、巨悪をさらに暴いてほしい。メディアの根幹は、<マスコミ>という、本来正しくなく品のない呼び方をされて平気な低次元の存在であってはならない。ジャーナリスムでなければならない。
九州電力のやらせ事件と、それに絡んだとされる佐賀県知事の追及はどうなっているのか。メディアの無責任と怠慢は、現在も進行中だ。取材者・報道者は冷水を頭からかぶって、<マスコミスト>であるのを止め、ジャーナリストにならねばならない。
「組織の犯罪」ないし「組織的犯罪」という巨悪は、ほとんどの場合、(本来権力のない平凡な人々の利権集合体である)権力を隠れ蓑にして、責任の所在を曖昧にし、結局は無処罰に終わってしまう。言い古された言葉だが、日本の民主は依然、<でも暗し>である。ジャーナリズムが眠り、<マスコミスト>が権力の一部に成り下がっている限り、夜明けは来ない。
(2011年11月28~29日 伊高浩昭執筆)
【このNHK番組を、先に当ブログに掲載した共同通信社編集委員室企画を踏まえて観ると、わかりやすい。また、この番組を観ると、共同通信社企画の内容が一層理解しやすくなる。】