2011年11月8日火曜日

書評『チェ・ゲバラ-最後の真実』

   ブラジル在住のボリビア人医師にしてジャーナリストのレヒナルド・ウスタリス=アルセ(1940年生まれ)が40年の調査取材を積み重ねて書き下ろした労作。原題は『チェ・ゲバーラ 生と死および神話の復活』(2008年)。服部・石川共訳。2011年7月、ランダムハウスジャパン刊、2200円。

   この本の最大の価値は、チェのゲリラ部隊がボリビア軍と戦闘し殲滅されたアンデス前衛山脈の渓谷地帯ニャンカウアスー地域について、「チェは、同地域でゲリラを訓練した後、同地域を兵站(補給基地)として維持し、200km北方の別の地域で戦闘するつもりだった」との証言を得た点にある。

   証言者は、チェの側近中の側近だったキューバ人ゲリラ、ハリー・ビジェガス(暗号名ポンボ、後にキューバ革命軍少将)ら、実際にボリビア遠征に参加した側近たちである。だが「200km北方の地域」がどこなのか明記されておらず、この点が画竜点睛を欠く。実に惜しい。

   捕虜になった翌日、チェは殺害され、両手は切断されホルマリン漬けにされた。指紋照合のためと、米政府の諜報・謀略機関CIAから要請されて、ボリビア軍政が医師に切断を命じたのだ。

   CIAはチェの頭部も切り取るよう要請したが、医師は「キリスト者として受け入れられない」と拒否し、代わりにデスマスクをとることにした。ところが型をとる材料がなかったため、急遽、蝋燭を買い集め、これを鍋で煮て獣脂を採り、これを固めてデスマスクをとった。

   チェの祖国アルゼンチンの登録所に残されていた指紋と照合して、チェであることが確認され、両手は不要になった。これを当時のボリビア内相アントニオ・アルゲダスが、デスマスクとともに保管することにした。

   このエピソードを掘り起こした点も価値がある。

   ここから先は私が書こう。チェの両手は内相を通じてキューバに渡された。チェ没後30年の1997年、チェの両手のない遺骨が地中から掘り出され、キューバに帰還した。その遺骨は両手の骨と再会し、一つの箱に入れられ、キューバ・サンタクララ市のチェの霊廟に納められた。デスマスクについて言えば、CIAはデスマスクは特に必要としていなかったはずだ。狙いは別のところにあったと思われるが、説明が長くなるので、敢えて触れない。

  本書の難点は、チェがボリビア遠征前の1966年のある日、友人に別れる際、「アスタ・ラ・ビクトリア、シエンプレ(勝利の日まで、常に)」と言った、と書かれているところだ。

  この言葉は、チェの「別れの手紙」の末尾に登場したのが最初だが、実はチェ自身が書いた言葉ではなく、フィデル・カストロが、手紙の最後の数行の文章を書き換えて作った言葉だった。

  この経緯については、イグナシオ・ラモネ著『フィデル・カストロ みずから語る革命家人生』(伊高浩昭訳、2011年、岩波書店)下巻の「解説」を参照してほしい。

  チェが、自分で作った革命標語でないものを他人に言うとは思えない。それどころか、知識人だったチェには、そんな標語などを口にすることを軽蔑する傾向すらあった。
 
 私は、「チェは絶対に言わなかったはずだ」と断定的に言うことはできない。その場に居合わせなかったからだ。だが、本書のこの個所が引っ掛かってならない。

(2011年11月8日 伊高浩昭)