2011年11月9日水曜日

米国と関係正常化で合意

   ボリビアと米国は11月7日ワシントンで、関係正常化のための「相互尊重・協力に基づく両国関係の枠組み合意」に調印した。

   両国関係はボリビアで2008年9月、反政府農民暴動が起きた際、エボ・モラレス大統領が「背後に米大使の陰謀があった」として、当時の米大使を追放し、極度に悪化した。モラレスはさらに、米DEA(デア=麻薬捜査局)代表らを「陰謀加担」で追放し、DEAとの関係を絶った。

   これに対し、当時のブッシュ米政権はボリビア大使を追放し、アンデス諸国向けの特恵関税制度のボリビアへの適用を停止した。

   以来、両国関係は、臨時代理大使級に格下げされたままになってきた。

   米国に09年オバマ政権が登場すると、交渉機運が生じ、両国は関係正常化の交渉に入った。

   調印された「合意」は、大使早期着任、麻薬取締協力、通商促進、人間・経済・社会・文化の持続可能な開発、などを謳っている。両国合同委員会を新設するが、同委が「合意」の実施を保障・検証することになるという。

   モラレスは8日、訪問先のコロンビアの首都ボゴタで記者団の質問に答えて、「前の米大使は内政干渉をした。米国はボリビアに対し歴史的に初めて、ボリビアの主権と憲法を尊重すると約束した。相互尊重の合意が成り、ボリビアが従属する関係は終わった」と述べた。

   米国務省は、「合意を基に、関係の全面的正常化を図りたい」と表明した。この「全面的」の言葉に、DEAボリビア事務所を再開させたい思惑が含まれているのは疑いない。

   これについてモラレスは、「DEAはかつてボリビアで警察と軍を指揮していた。私も、その犠牲者だった。だが、そのようなことも終わった」と述べ、「DEAが戻ってくることはない」と言明した。

   DEAはかつてコチャバンバ郊外に、麻薬栽培地とコカイン製造工場の摘発を主目的とするボリビア警察特別機動部隊の基地を置いていた。そのころモラレスは、コカ葉栽培農民労連の代表だったが、多くの栽培農が警察機動部隊により殺され傷つけられた。モラレスも常に監視されていた。「犠牲者だった」との発言は、一連の迫害を指す。

   ラパスで留守を預かっていたアルバロ・ガルシア副大統領も8日の記者会見で、「DEAは不要であり、戻ってこない。ボリビア軍と諜報機関が麻薬取締の役割を十分に果たしている」と語った。政府は09~2011年に、コカ葉不法栽培地2万5000hrを摘発した、と明らかにしている。
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   私は1990年代半ば、コチャバンバのモラレスの事務所で彼にインタビューし、労連の案内で、コカ葉栽培の中心地チャパレ地区を取材した。その翌日、警察機動部隊の軍用ヘリコプターに乗り、同部隊が地上と上空から栽培農を弾圧する光景を機内から取材し、かつ見守った。

   地上では機動部隊が栽培農に向けて水平発砲し、ヘリコプターは栽培農に対し催涙ガスを執拗に投下していた。栽培農が手にしていた武器は、マチェテ(山刀)、鍬、棍棒などだった。

   翌日、ラパスの新聞には、この弾圧で数人が死亡し、負傷者も出た、と書かれていた。

   私は、機動部隊の共犯者だったかのような気持になり、取材記者の<業(ごう)の深さ>に、鬱鬱としたものだ。ボリビアは取材の思い出の多い国だが、悔恨を伴って真っ先に思い出されるのは、あのヘリコプター取材をした苦々しい一日の情景だ。

(2011年11月9日 伊高浩昭)