2011年11月26日土曜日

映画『アキラの恋人』

★☆★☆★キューバでドキュメンタリー映画『ラ・ノビア・デ・アキラ(アキラの恋人)』(56分)が完成し、11月12日ハバナで試写会が開かれた。折からの日本文化週間に合わせて上映されたもので、マリアム・ガルシア=アラン監督、元女優オブドゥリア・プラセンシア、西林万寿夫・日本大使らが出席した。

    1968年、初の、そして唯一の日玖合作映画『ラ・ノビア・デ・クーバ(キューバの恋人)』がキューバで制作された。今は亡き黒木和雄監督の作品だった。船乗りの日本人青年アキラがハバナの街で美しい娘マルシアを見初め、ハバナから東部のサンティアゴまで追いかけていくという物語だ。水も滴る美青年だった津川雅彦が主演、マルシアは女優未経験だったプラセンシアが演じた。

    この映画の制作から43年経ったが、キューバでは一度も公開されなかった。新作『アキラの恋人』では、黒木作品制作に至ったキューバ側の映画政策上の理由、合作だが黒木組が制作しキューバ側は支援するのが主だったという事情、両国映画人の出会いの意味、黒木作品の歴史的価値などが、生存している関係者たちによって縦横に語られている。

    当時、キューバで最も人気のあった日本映画は、勝新太郎主演の『座頭市』シリーズだった。私は、革命第1世代のアルマンド・ハルト氏が文化相だった時、同氏にインタビューした。ハルト文化相は、「キューバ人は、スーパーマンとか西部劇のガンマンとかハリウッドの英雄しか知らなかった。世界にはさまざまな英雄がいることを教え、視野を拡げるため、日本映画の英雄も紹介したのだ」と語った。

    あのころ日本人の男性はハバナの街で「イチー!」と、よく呼びかけられたものだ。『キューバの恋人』のカーニバルの場面にも、<座頭市>が登場する。黒澤明督・三船敏郎主演の一連の作品や、『木枯らし紋次郎』も人気があった。後に『おしん』が大ヒットする。

    興味深いのは、当時通訳を務めた長野県系キューバ人フランシスコ宮坂が、「あのころ日本からの漁業協力があって、漁船員がたくさん来ていた。だからアキラという船乗りの役柄が生まれた」と語っていることだ。当時、日本共産党系の漁業指導員らが漁船とともにキューバ近海で活動していた。また、日本の大手漁業会社も進出していた。

    キューバ側関係者はみな、『アキラの恋人』の制作を機に『キューバの恋人』を初めて観ることができた。プラセンシアは「観て恥ずかしかった」と語っている。「マサ(津川)は親切で、素人の私を、ゼスチャーを交えて、優しく励ましてくれた」と言う。

    ある関係者は、「キューバ革命が熱気を帯びていたころの映像はニュース映画ぐらいしかなく、『キューバの恋人』は極めて貴重な映像だ」と評価する。

    12月1~11日ハバナで第33回国際 「ラ米新映画」祭(通称ハバナ映画祭)が催される。『アキラの恋人』も上映されることになっている。

    日本では字幕が既に作成され、上映準備が進んでいる。私は日本側関係者の好意で試写版を観た。なかなか面白い。津川もインタビューに応じて思い出を語っている。

    まず『キューバの恋人』を観てから『アキラの恋人』を観る。楽しい2本立てになる。惜しむらくは、なぜ『キューバの恋人』が40数年間もお蔵入りしていたのか、その理由の究明がないことだ。

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    私は1968年当時、『キューバの恋人』制作のため東京・ハバナ間を往来していた黒木監督と、主演の津川に中継地のメキシコ市で会い、取材した。その時のエピソードや、今年9月、東京・新宿でのラテンビート映画祭で『キューバの恋人』が再上映された際のトークショーに出演した津川の話などについては、月刊『LATINA』誌(2011年)9月号p70掲載の拙稿を参照いただきたい。

(2011年11月26日 伊高浩昭執筆)