2011年11月30日水曜日

喜納昌吉ら沖縄御三家<奇蹟の競演>

★☆★☆★沖縄民衆音楽界を率いてきた喜納昌吉(63)、知名定男(66)、照屋林賢(62)=アイウエオ順!=が12月1日、<歴史的競演>をする。相互にライバル意識が強く、「絶対に交わらない三ツ星(ミーチブシ)」と言われた3人だが、共通の友人でフォークシンガーの南こうせつの仲立ちで実現することになった。司会は南が務める。

   会場は、3人が育った沖縄市(旧コザ市)の沖縄市民小劇場で19:30から。

   「LIVEコザ 三線SAMURAI~島うた40年史」がコンサート名。(なぜ沖縄でサムライなのか、やや違和感がある。)

   私は10月初め那覇で昌吉に会った際、この合同コンサートの 話を聞いた。「信じられない」と言うと、「僕自身が信じられないさ。こうせつの熱意に折れざるをえなかった、としか言いようがない」と昌吉。

   宣伝ビラに刷り込む名前の順番とか、誰がトリになるかとか、打ち合わせが大変だったらしい。「とにかく、やってみないと、どんなコンサートになるのかわからないさ」

   新聞は「歴史的競演」、「奇蹟の競演」などと書いて、前景気を煽っている。

   私は1977~79年、3年近く通信社の那覇支局にいて、沖縄情勢を取材し報道した。昌吉とは当時からの友人。定男は「バイバイ沖縄」が大ヒットした時インタビューし、その後、ペルーのクスコ郊外でばったり出会ったことがある。照屋は、林賢よりも、父親の林助(故人、漫談家)の方をよく知っていた。

   ライブを聴けないのが残念だが、ビデオで必ず観る。3人のシンガー・ソングライターも年をとった。だから対立を棚上げし、融和のひと時を共有しようと同意し合ったのだろう。

(2011年11月30日 伊高浩昭執筆)

【沖縄の日本復帰(米国から日本への施政権返還)から間もない1970年代後半の状況や、若き日の喜納昌吉の活動については、拙著『沖縄アイデンティティー』(1986年、マルジュ社)を参照されたい。また沖縄の21世紀初頭までの状況については、拙著『双頭の沖縄』(2001年、現代企画室)をどうぞ】