2013年7月17日水曜日

映画「楽園からの旅人」を観る


 イタリア映画「楽園からの旅人」(原題「段ボール村」、2011年エルマンノ・オルミ監督作品、87分)を試写会で観た。8月17日から東京・神田神保町の岩波ホールで公開される。

 教会が廃止され廃屋と化し始めたその日、北アフリカから密入国した難民たちが侵入し占拠する。半世紀に亘ってそこに住んできた老司祭は、晩年に到来した劇的な瞬間―難民たちを匿った二泊三日間―に、真のキリスト者に限りなく接近する。

 映画の舞台は徹頭徹尾、この教会の建物の内部だけだ。信者が毎日、<土足で>出入りするキリスト教の教会ならではの舞台設定である。裸足で手足を清めて入るイスラム寺院や、土足で入ることの少ない仏教の寺では、この映画のような人民の空間は生まれにくい。

 まさにキリスト教的、地中海的、イタリア的な映画だ。昨年、岩波ホールで上映された「ジョルダーニ家の人々」も「海と大陸」も、アフリカ難民問題を取り上げていた。今や、現実的、社会的、人間的な作品を生み出そうとすれば、難民問題に触れなければ<>になるとも受け止められそうな、共通の作風である。

 難民たちは教会を離れフランスに向かうが、教会を出てすぐに逮捕されたかもしれない。イタリア当局が、ユダヤ人を狩るゲシュタポのように映る。老司祭には、教会の建物の破壊が待っている。ハピーエンドはない。

 「神とは何か」を、日本人にある程度理解させてくれる映画だ。それにしても、西欧キリスト世界は、2000年も「神とは何か」を考え続けている。日本人の理解が及びにくいのは、この伝統と歴史と文化である。