ジョージ・オーウェルは、この『ウィガン波止場への道』が出版された1937年、スペイン内戦の戦場で共和派人民戦線の側で戦っていた。塹壕に居た時、敵がなかなか銃撃してこないため立ち上がったところ、首筋を撃たれ重傷を負い、バルセローナの病院に運ばれた。経緯については、名著『カタロニア讃歌』を参照されたい。
本書(土屋宏之訳、1984年、ありえす書房)には、炭鉱坑道のルポルタージュが含まれているが、「(狭く天井の低い坑道を通るには)私には長身というハンディキャプがある」と書いている。戦場でも、背が高すぎたため、敵弾が命中したのだ。
「炭鉱夫は、土地を耕す人間に次いで重要だ。炭鉱夫のランプに照らされた地底の世界は、太陽が輝く地上の世界にとって、ちょうど花にとっての根のように不可欠なものなのだ。知識人ら優越者が優越していられるのは、炭鉱夫が汗水垂らして働いているからにほかならない。だから、ある意味で炭鉱夫を見ることは、知識人にとって屈辱的でさえある」
オーウェルは、炭鉱夫の重要性をそのように描く。本書の題名だが、なぜこの題名が付けられたのか不可解だ。オーウェルは「私は有名なウィガン波止場を見たいと思っていたが、波止場は既に取り壊され、それがあった場所もはっきりしない」と書いているだけだ。波止場は失われていたが、探しまわる過程でさまざまな現実に遭遇することができた、という意味で、この題名にしたのかもしれない。
本書の第2部は、社会主義についての思考であり、圧巻だ。オーウェルは自身を「中流階級上層」のなかの「下層」と位置付けている。「社会主義者はファシズムの攻勢の前に退却を強いられている。私がこれを書いている時にも、スペインのファシストはマドリーを爆撃している」と記す。オーウェルは、ファシズムが欧州そして世界を席巻するのを阻止するため、スペインに馳せ参じたのだった。
「社会主義者はファシズムの攻勢の前で退却を強いられている」という指摘は、日本の現情に当てはめても示唆的だ。日本の極右政権は、人間の自由よりも国家の権限を重んじ、参戦できるようにし、天皇を元首にするため改憲しようとしている。これを阻止する対抗勢力は、日本の状況では社民勢力なのだが、それが幾つかの小政党に成り下がり、極めて心許ない。
「ファシズムというのは、すべての空想的社会主義者がやることの正反対をやろうという決意なのだ」という指摘は、洞察だ。
「人民戦線はファシズム阻止のために結成せざるをえまいが、本物の社会主義ではなく、反ファシズムの戦術になるという危険を孕んでいる。そこには社会主義者が最悪の敵とも同盟する可能性がある」と書く。キューバの人民社会党(PSP=共産党)が第2次大戦中、バティスタ政権に参加した史実を思い出す。
オーウェル自身、バルセローナでの「内戦の中の内戦」と呼ばれた人民戦線内部の戦闘や弾圧の経験者となる。オーウェルには欧州の近未来が、はっきりと見えていたようだ。