旧ブラジル軍政が「反体制危険分子」の非合法処刑を公認していたことがこのほど米政府文書によって確認され、ブラジル社会で非難を巻き起こしている。
ジェトゥリオ・ヴァルガス財団(FGV)のマティアス・スペクトル教授(国際関係)は5月10日、米国務省が2015年に公開していた機密文書を分析していたところ、1974~79年のエルネスト・ガイゼル軍政期に「危険分子の法律外処刑」が継続決定され実施されていたことが判明した、と明らかにした。
それによると、CIA長官ウィリアム・コルビー(当時)はヘンリー・キッシンジャー国務長官(同)への74年4月11付覚書で、次の事実を報告している。
ガイゼル軍政大統領は就任直後の74年3月30日、国家情報局(SNI)長官ジョアン・フィゲイレド(次の軍政大統領)、陸軍諜報局(CIE)のミルトン・デ・ソウザ前長官および、コンフィシオ・アヴェリーノ新長官と会談した。
メディシ前軍政下でCIE長官だったソウザは、「危険分子」104人を法律外処刑した、と語り、ガイゼル軍政も同様にすべきだと進言した。ガイゼルは「明るみに出れば重大な問題になるため考える時間が欲しい」とその場を引き取った。
だがガイゼルは2日後の4月1日、フィゲイレドSNI長官と会談、法律外処刑を継続することを決定した。フィゲイレドは決定を受けて、「危険分子」処刑を(CIEに)命じた。米政府は、決定と命令を黙認していたことになる。
ガイゼルは74年9月ブラジリアで、田中角栄首相と会談、関係強化で合意している。後継のフィゲイレドは1979~85年、軍政最後の大統領を務めた。
ルセーフ前政権期の「真実委員会」は2012年、軍政期に434人が法律外処刑されるか「行方不明処理」されたと報告している。
1985年の民政移管から33年、軍政期(1964~85)の「将軍たちの人道犯罪」の多くをCIAがいち早く把握していた事実が次々に明るみに出つつある。
キッシンジャーこそ、南米極右軍政諸国を左翼相互抹殺協力作戦(コンドル作戦)に導いた黒幕だった。ラ米では、ノーベル平和賞さえもらったキッシンジャーへの評価は決して高くない。
日米関係にしか目がない日本人の米国研究者の多くはキッシンジャーを極めて高く評価しているが、そんな「異常な見方」をラ米知識人は冷ややかに見ている。