CIAの悪名高いキューバ系テロリスト、ルイス・ポサーダ=カリーレス(90歳、帰化しベネズエラ国籍、以下LPC)が5月23日、米フロリダ州ミラマルの退役軍人官舎で死去した。晩年は米当局に匿われて生きていた。
LPCは1928年、玖シエンフエゴス市生まれ。ハバナ大学で化学を学んだ。59年元日の革命後、反革命行動に参加。61年、刑務所を逃れメキシコ経由で米国入りした。
同年、中央情報局(CIA)に入り、破壊活動、対人テロな訓練を受ける。その年4月の、ヒロン浜侵攻作戦の準備に参加。出撃はしなかった。
67年から亜国、チリ、エル・サルバドール、グアテマラ、ベネズエラが、それぞれ軍政下にあった時期、政府安全保障顧問として活動。
71年、フィデル・カストロ玖首相が訪智時、カメラマンを装った暗殺犯がフィデル殺害に失敗した。この事件の黒幕がLPCだった。
76年9月には、ワシントンでアジェンデ政権時代の外相オルランド・ㇾテリエル暗殺の黒幕となった。
★同年10月6日、カラカス発ハバナ行きキューバ航空旅客を空中爆破。その主犯としてベネズエラで逮捕さる。73人が死んだこの事件を受けてキュ―バ政府は、LPCの身柄引き渡しを要求し続けることになる。
81年、レーガン米政権下で「玖系米国人財団」(CANF)がマイアミにできると、その庇護を受けるようになる。
85年8月、刑務所を脱走、ホンジュラス、グアテマラ、エル・サルバドールに居住。ハバナ市内のホテルで97年、爆弾事件を起こす。イタリア人旅行者1人が死亡した。子の黒幕でもあった。
2000年パナマ市に国際会議議出席のため滞在するフィデル・カストロ爆殺を工作、未然に終わる。パナマで逮捕されるが釈放され、05年米入国。
その後、軟禁されたり、有罪判決を受けたりしたが、結局はあいまいなまま釈放された。無処罰のまま死んでいった。2度結婚、2児の父だった。
フィデルを「正面の敵」と捉えていたが、フィデルが90歳で死んだ2年後、「不世出」のテロリストも同じく90歳で死んでいった。
★映画会と座談会
6月8日、府中市朝日町の東京外語大学で。映画「エルネスト」上映および座談会(阪本順治監督、伊高浩昭、翻訳家・松枝愛)。
会場1730、上映1800~2004、座談会2010から小一時間。入場無料、先着500人。