2014年1月11日土曜日

パナマ運河国旗掲揚虐殺事件の50周年式典催さる


 1964年1月9日、パナマ人学生が、米軍占領下のパナマ運河地帯に入り、パナマ国旗を掲げた。米軍は銃撃で応じ、学生23人が死亡、負傷者も出た。パナマ政府は、この日を「国家主権の日」に指定した。

 その50周年記念式典が1月9日、リカルド・マルティネリ大統領、全閣僚らが出席して催された。大統領は、「殉教者の若者たちを誇りに思う」と述べた。

 この事件に触発された国家警備隊のオマール・トリホス司令官は1970年代末、カーター米政権と交渉し、新運河条約締結にこぎつけた。それに基づき運河は1999年12月31日正午、パナマに返還された。

 トリホス将軍はその後、運河返還を見ないまま、ヘリコプター事故を装った謀略で暗殺された。

 またブッシュ父親大統領は1989年12月、パナマに大規模な軍事侵攻を仕掛け、パナマ人最大推計8000人を殺した。この侵攻で、米軍による「運河防衛権」をパナマ政府に認めさせた。