鶴見俊輔著『身ぶりとしての抵抗』(河出文庫)を読んだ。これで、それぞれ題名が異なるシリーズ4巻本を全部読んだことになる。
東電原発放射能漏れ重大事故の後に書かれた「身ぶり手ぶりから始めよう」は、「長い戦後、自民党政権におぶさってきたことに触れずに、菅、仙石の揚げ足取りに集中した評論家と新聞記者による日本の近過去忘却」を指摘する。そのような風潮が昂じて民主党政権は葬られ、最悪の極右時代錯誤政権が生まれた。だが評論家やメディアに反省はない。
「軍事上の必要もなく二つの原爆を落とされた日本人の<敗北力>が65年の空白を置いて問われている」と著者は続ける。細川元首相が脱原発に的を絞って2月9日の東京都知事選挙に出馬することになった、と1月14日の夕刊は伝える。これなど、一種の「敗北力」だろう。
だが組む相手の小泉元首相は、あの愚かなブッシュ米大統領にべったりくっついて、米国のイラク開戦を無批判に受け入れた。また自民党の加藤議員の山形の自宅が放火され炎上した際、首相として、このテロリズムをとがめなかった。韓国・朝鮮人への激しい攻撃が続いていた時、制止を一言も呼び掛けなかった現首相安倍と同じだ。
主権者・有権者は、よほど心して「敗北力」を行使せねばならない。
「明治維新以後、米国が日本に対してとった近代文明の強制的輸出の役割を、日本は朝鮮に対してとろうとし、この時から朝鮮人に対する保護者意識とそれと裏腹な軽視の歴史が始まる」と綴る。何と浅はかな歴史であろう。
本書は、今の時代の必読書である。