2014年1月6日月曜日

鶴見俊輔著『思想をつむぐ人たち』を読む

 鶴見俊輔著『思想をつむぐ人たち』(河出文庫)を読んだ。日本の主権者の中で間違いなく少数派である極右国家主義の政権があって、かつての少数白人支配の南アフリカよろしく、しかし「人種隔離」ならぬ、「イデオロギー隔離(アパルトヘイト)」政策を実行しつつあるような昨今、知識人や芸術家の間で「亡命」が半ば冗談、半ば真面目に議論されつつある。

 この本の「亡命について」(1979年)は示唆に富んでいる。「明治、大正から昭和の初めまで日本の知識人には、日本文化への恥じらいがあり、その恥じらいの中には日本文化からの小さな亡命者としての自らの半身が隠されていたとも言える」。

 「亡命者が日本の戦争時代と敗戦後の窮乏時代を避けて、ぬくぬくと暮らしていたと考えることはできない。そのような架空の楽な暮らしの中に亡命を塗り込めることには、日本国内で自由主義、社会主義から軍国主義へと身を移してきた知識人の転向を正当化する卑怯な理論が隠されている」。

 「実質的亡命状態にある何人もの在日朝鮮人がこの国には住んでいる」。

 「亡命しなければ国家権力に抵抗できないと言うつもりはない。ただ、殉教のみを理想化せず、亡命者を考慮の裡に置いて国家批判を考えていくという見方を保ちたい」

 世界の歴史は、亡命の歴史でもある。ラ米もしかり。カストロ兄弟がメヒコに亡命しなければ、クーバ革命はなかった。佐野碩がメヒコに亡命しなければ、メヒコの近代演劇の発展はなかった。トロツキーはメヒコに亡命したが、スターリンの刺客に暗殺された。ラ米を深く理解するには、亡命の意味を理解せねばならない。

 本書のアナーキスト金子ふみ子(1903~26)の短くも激烈な人生を描いた「金子ふみ子――無籍者として生きる」は圧巻。