2014年1月15日水曜日

アルゼンチン人詩人フアン・ヘルマン死去


 メヒコ市在住のアルヘンティーナ人詩人フアン・ヘルマン(83)が1月14日死去した。青年時代は左翼活動家、その後は左翼詩人として鳴らし、ラ米進歩主義政界・文化界から尊敬されていた。

 ユダヤ系ウクライナ人移民の子として1930年ブエノスアイレスに生まれた。キューバ革命後の60年代から70年代にかけて、亜国に登場したゲリラ組織「革命軍」(FAR)、およびモントネロス(ペロン派青年部極左武闘組織)に参加した。

 1975年、イサベル・ペロン政権下で、警察秘密結社AAAに脅迫され亡命。翌76年3月、ビデーラ極右軍政が登場し、息子マルセロとその妻クラウディアは軍政に拉致される。

 マルセロは殺され、妊娠中だった妻は出産後、殺害された。生まれたマカレーナという孫娘は、ウルグアイ人警察関係者に引き取られていた。

 ヘルマンは苦労して孫娘を探し出し、祖父と孫の血縁関係が回復した。

 83年の亜国民政移管後、亜国に戻ったが、再びメヒコ市に移り、詩作を続けていた。

 2007年、セルバンテス賞を受賞するなど、数々の賞を得ていた。詩集は29冊に及び、これを1冊にまとめたものもある。

 死について生前、「隣のバリオにバイオリンを弾きに行く(ようなもの)」と語っていた。

【セルバンテス賞受賞後、来日し、東京・麹町のセルバンテス文化セントロで講演した際、私はインタビューし、LATINA誌に長い記事を書いた。】