2013年6月6日木曜日

樺山紘一の人間的な史書『地中海』を読む



 7年前に買い室内で所在不明となっていた本を見つけ、読んだ。面白かった。樺山紘一著『地中海』(岩波新書)である。小さな本の中に、地中海の人間、歴史、文明、文化が詰まっている。

 私がいちばん感心した点は、「第1章 歴史」の「ヘロドトスに帰る」に記されている文章だ。引用する。

「ヘロドトスの<作り話>を、事実の偽証だとして排斥した結末として、歴史が包容するイマジネーションの図柄を追放してしまった。事実は、たんに干からびた断片の連続として列挙されざるをえなくなり、科学の名のもとで冷徹な抽象概念によってのみ繋ぎとめられた、理論図式のなかに収容される。歴史学は偽証を排除したが、それにともなって、読み聴く熱気をも同時に追いだしてしまったのではないだろうか」

 これは、私がかねがね思っていたことである。特に日本人の書くほとんどの現代史の本の文章のつまらなさに辟易としながら、そのような本を参考のため、あるいは書評を書くため、仕方なく読んできた。ロマン(人間的構想力)が欠けているから、読んで空しいのだ。人文科学というからには、もっと血の通った、心躍るような史書、もちろん科学的な要素を兼備した史書を読みたい。

 この本の著者は西洋中世史の専門家、つまり歴史家だが、本書を可能な限り人間的に綴っている。だから面白いのだ。

 ジャーナリズムは現代史の基盤として、現代史の末席を汚しているが、ジャーナリズムにはロマンと「遊び」がある。生の人間を中心に描くから、そうなるのだ。現代史家にジャーナリズムの手法を大いに取り入れてほしいものだ