2014年3月16日日曜日

人文科学は滅びるのか?-興味深い『読書人』鼎談

 『週刊読書人』3月14日号の特集は読み応えがある。「人文科学は滅びるのか?」という主題で、宗教学者島薗進、哲学者金森修、科学史家小松美彦の3人が極めて興味深い内容の鼎談を展開している。

 「科学技術自身が社会の支配体制、権力側の維持装置となる性質をもってしまった」、「3・11原発事故以後、主にマスメディアに登場する物理学者の多くが平気で事実を隠蔽し、嘘をつくことが明らかになった」、「自然科学系の専門家は、お金の出所の立場でものを考える傾向がある」、「人文科学が、近代的・世俗主義的な価値に沿って規範的な言説を形づくってきた。その規範が弱くなり、それに替わるものが見えない中で、科学技術が暴走する」。

 「科学技術が原因で公害が起き、科学技術に対する批判が高揚した。そこで公害を克服する科学技術として政財界が推進したのがライフサイエンス(バイオテクノロジー)だった」、「新自由主義と相まってライフサイエンス推進路線が復活し、それを補完する装置として導入され定着したのが、米国発のバイオエシックス(生命倫理)だ」。

 「効率主義の行く着く果てが現在であり、3・11以後も基本構造は何ら変わらない」、「福島で大勢の人々の健康が懸念され、彼らのためにしなければならないことがたくさんあるのに、最先端の科学的成果を上げるところに予算が投じられる。目的を失った科学技術とグローバル資本主義が一体になっている」。

 「(人文科学でも)統計的手法を駆使してエビデンス(証拠)から攻めていき、自然科学の計量的手法が社会の諸領域に浸透していく。それに合わせて哲学は功利主義が強くなる」、「社会、文化、人間全体を見据える知識人、教養人としての目が、自然科学者はもちろんのこと、人文科学者の中にもますますなくなりつつある」。

 「新自由主義の時代にファンダメンタリズム(原理主義)が興隆する」、「3.11以後の日本で、どうしてここまで国家主義的な体制ができてしまったのか。理由の一つは、科学への信頼が崩れてしまったこと。自分たちの足元が危うくなったため、共通の基盤を求める方向に意識が流れた面がある」

 「国家の秩序に服することを尊ぶ気風が政官財界には強く、それが文化的な力を大きく削いでいる」、「権力者が持つ文化観が非常に貧弱化しているのは大問題」、「3・11以降の原発政策は公益とは決して言えす、私益で動いている。まさに拝金主義が中心の社会であることを世界に宣伝しているようなものであり、この文化度の低さ、下品さに、どうして権力者たちは気づかないのか」。
 
 「2回目の安倍内閣になり、マスメディアの調子が権力者の権力保存を支援する方向に一貫して流れている。それに乗って安倍が我々の予想以上に危険な政策を次々にやり始めている」、「その歯止めの役割を人文科学者は担わないといけない」、「今こそが分岐点だ。このまま徴兵制に向かっていくのではないか。人文学者が歴史的使命を負ってやれることはいくらでもある」

 「日本人の思想文化的な足腰が弱かったことも省みないといけない。明治維新以後の日本の人文社会科学的な学問と、その基盤となる思想構造が、西洋のヘゲモニー(主導権)が後退していく現代という時期に状況が求めるものに耐えられなくなっている」。「自分社会科学系の学問を根絶やしにしようとする国家の非文化的な政策に対しても断固抗わないといけない」。

 一読をお勧めする。