クーバの賢者ホセ・マルティ(1853~95)の生誕163年記念日の1月28日、クーバ各地で記念行事が催された。前夜ハバナで行なわれた恒例の松明行進の先頭には、ラウール・カストロ国家評議会議長、ホセ・ムヒーカ前ウルグアイ大統領、レオネル・フェルナンデス前ドミニカ共和国大統領らが立った。
行進はハバナ大学大階段から、マルティが1871年懲役で労働に従事させられた石切り場跡まで。マルティの青年時代の出来事であるため、大学生連盟(FEU)が主催している。ジェニファー・ベージョFEU議長もラウールと並んで行進した。
この松明行進をはじめマルティ記念行事がいつになく盛大に実施されているのは、昨年の対米復交で、米国の経済・文化圧力が増大し、クーバ人の「革命精神」が弱まるのを防止する政策の一環だからだ。
ことし4月に開催される第7回共産党大会と、8月にはフィデル・カストロ前議長が90歳になるのを祝う意味も含まれている。
クーバの対米州文化伝播機関「アメリカス館」(カサ・デ・ラス・アメリカス)は第57回文学賞選考会にムヒーカを招待、ムヒーカは26日アメリカス館チェ・ゲバラ広間で、選考会参加者、ジャーナリストらと質疑応答した。
ムヒーカは消費文明を批判し、「資本主義的蓄積文化に支配された操舵無き文明」を糾弾した。人類の課題は「地球上でいかに生きるかであるが、市場志向社会やメディア文明によって、その課題を認識できなくなっている」と指摘。
「私は洞窟暮らしがいいとか貧困がいいとか言っているのではない。少しの食事、少ない荷物、(多くの)生きる時間を持つのがいい。人間は他人と交流してこそ幸せであって、商品ではない」と強調した。
また、新しい世代に対し「我々旧世代の過ちではなく、自分たちの世代の過ちを犯すべきだ」と、得意の警句を吐いた。
ムヒーカは27日には、コロンビア内戦和平交渉のFARC首席イバン・マルケスらFARC代表団と懇談した。
25~28日には「第2回万人と共に万人の善のため国際会議」が開かれ、伯人神学者フレイ・ベト、南米諸国連合(ウナスール)事務局長エルネスト・サンペール(元コロンビア大統領)をはじめ、51カ国からマルティ研究者ら700人が参加した。
キトでは28日、市内にあるマルティ像前で記念式典が催され、前日のCELAC首脳会議に出席したミゲル・ディアスカネル玖第1副議長、エクアドール国会議長、同文化相らが出席した。
エクアドール史の英雄エロイ・アルファロ大統領は同国での革命に成功し1895年(マルティの没年)、クーバを独立させるようスペイン国王に書簡を送ったが無視され、クーバに援軍を派遣しようとしてこれも叶わず、大統領給与を独立軍に贈った。その後アルファロは1912年1月28日(マルティ誕生日)に暗殺された。ディアスカネルはこの史実を挙げて、マルティとアルファロとの結びつきを讃えた。
一方、バラク・オバーマ米大統領が26日発表した対玖経済封鎖緩和策が27日実施された。米国の対玖輸出決済を米禁輸機関で出来ることにした。だが農産物は依然現金払いであり、クーバが米ドルで国際決済するのは許されいない。またクーバからの対米輸出も土産品以外は認められていない。民間航空協定の話し合いは進んでおり、両国航空機が共同運行することが認められた。
(付記するが、日本メディアで相変わらず「経済制裁」というワシントン寄りの用語を用いる不勉強な記者が目立つ。せめて「禁輸」「融資禁止」などの用語を使うべきだろう。クーバの用語は「ブロケオ=ブロック」であり、歴史的に「封鎖」と訳されてきた。「エンバーゴ(禁輸)」には「封鎖」がニュアンスとして近いが「制裁」は遠い。)
クーバでは今月半ばから、国営農産物市場で農産物価格の上限が設定されている。生産者や中間業者による価格つり上げや儲け過ぎを抑え込む措置だ。だが当局は、生産増大によって供給を増やして価格を下げるのがあるべき解決策だ、と認めている。
アメリカス館は28日、同館文学賞(小説・物語部門)を、「ニ・ウナ・ソラ・ベス・エネル・シエロ(空ではただ一度さえもない)」の著者である亜国人作家アリエル・ウルキサに授与したと発表した。
この日、ムヒーカが同館で記念講演し、「私は22歳までは文学に熱中していた。だが世界や歴史を変える仕事(政治)に入っため文学から遠ざかった」と切り出し、「生きているという奇蹟を浪費しないでほしい」と訴えて締めくくった。