南米北部の解放者シモン・ボリーバル(1783~1830)がハイチ(アイチ)でアレクサンデ・ペシヨン同国大統領に1816年1月2日初めて会い会談してから2日で200年が過ぎた。
この日、ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は外務省を通じてメンサヘ(メッセージ)を発表した。次のような趣旨。
戦に敗れ部隊も資金も無くハイチに辿り着いたボリーバルは、立ち直り、決意を新たにした。ペシヨン大統領は、ボリーバルの独立戦争に思想的影響力を与えた。ベネスエラはラ米・カリブ最初の独立国ハイチに歴史的債務を負っている。ハイチの支援に感謝する。
ハイチは世界最初のアフリカ系黒人の独立国で、ボリーバルらを通じて南米北部の独立に貢献した。「ボリバリアーナ(ボリーバル主義)革命」を掲げた故ウーゴ・チャベス大統領と後継のマドゥーロ大統領は、そのような歴史的事実を最大限に評価してきた。
ハイチ出身のマクシモ・ゴメス将軍も、19世紀後半のクーバ独立戦争で独立軍指導者の一人として戦い、貢献した。