2014年2月9日日曜日

「雪は降る、あなたは来ない。。。」-雪の日に思う

 東京で24時間続けて雪が降った。30~50センチも積もっている。久々に「東京の大雪」となった。汚れを隠し街を覆い尽くす広大な白のヴェールを見て、40年前の思い出が浮かび上がった。

 1974年9月、時の田中角栄首相はメヒコ、ブラジル、米国を歴訪した。メヒコ市にいた私は、メヒコとブラジルだけ同行記者団に入った。首相は、ルイス・エチェベリーア大統領との会談後、憲法広場(ソカロ)に臨む政庁のバルコニーに大統領とともに立った。

 「ビーバ、インデペンデンシア・ナシオナル!」(国家独立万歳!)。大統領は鐘を鳴らしながら、叫んだ。広場を埋め尽くした数万の群衆は「ビーバ」で応える。独立記念日の夜だった。花火が広場の周囲で一斉に咲きだした。さながら「メヒコ燃ゆ」の光景だ。

 そのさなか、首相一行と我々記者団は大統領に見送られ政庁を出て、空港に急いだ。日航特別機は、標高2400mのメヒコ市に滞在した首相の体調を整えるため、太平洋岸のアカプルコ空港に降りた。そこから一気にブラジリアに向かった。

 翌朝、機はアマゾニーア上空を飛んでいた。首相は機内前方の首相室に記者団を集め、窓から眼下を見ながら、日本列島改造論ならぬアマゾン川流域改造論をぶった。私はびっくりし、あきれたものだ。

 ブラジル訪問は首都での首脳会談後、リオデジャネイロに行き、サンパウロで終わった。その夜、記者団の宴会とカラオケのひと時があった。長らく日本の外に居た私は、初めてカラオケを体験した。

 東京本社の政治部から特派員として来ていた先輩記者が、アダモの「雪は降る」を熱唱した。素晴らしかった。雪の降らないサンパウロならではの風変わりな趣があった。

 私は翌朝、空港で、首相一行と記者団がワシントンに向かうのを見送った。私はブエノスアイレスに飛んだ。ペロン大統領の国葬を取材してから3カ月ぶりの亜国だった。副大統領から大統領に昇格したイサベル・ペロン夫人の施政を観察した。

 次いで、ピノチェー軍政1年後のチレを取材した。あのクーデター直後の取材の悪夢を思い出していた。数日後、ペルーのリマ空港に付くと、大混乱していた。機内放送で大地震が発生したことは知っていたが、空港ビルにも亀裂が生じ、売店には誰もいなかった。私は割れたケースからラジオを取り出し、聴いた。

 すべての放送が地震のニュースを伝えていた。私は、出発ぎりぎりまで聴いてメモをとり、機内に戻った。重要な取材資料が詰まったトランクはボゴタ行きとなっている。リマで降りて地震を取材したかったが、トランクを紛失するわけにはいかなかった。

 私はボゴタのホテルでテレビニュースを点検し、メモを基に記事を書き、テレックスで東京に送った。当時はファックスさえなかったのだ。リマ空港でのラジオ取材だったため、「リマ発」で紙面を飾ったことが、メヒコ市に戻ってからわかった。

 メヒコでは、世界バレーボール選手権大会の取材が待っていた。私は初戦の地、モンテレイ市に向かった。山田監督率いる女子チームは破竹の勢いで優勝し、その後、モントリオール五輪でも金メダルに輝いた。この大会が終わったころ、田中首相はロッキード事件で苦境に陥り、やがて逮捕された。

 「雪は降る、あなたは来ない。。。」-あのサンパウロのカラオケの夜の思い出が今、雪の東京で甦った。